• Tomohiro Ogawa

第1章-7 僕はコックになる

「ここに家を建てる」


父は少し興奮気味に、そして宣言するように言った。

家を建てると同時にお店もここに移転する。一階がお店で二階が住居となるということらしい。


この場所は福井駅から車で10分ほど北に走った市街地の外れで、すぐそこに大きな幹線道路も通っている。いわゆる新興住宅街だ。ただ、今はまだ開発中で家より田んぼの方が圧倒的に多い。

父はこの周辺の発展を見越してここに土地を買う決心をした。


家に帰って夕飯を食べながら祖母も交えて、台所はどうするとか、お風呂は大きい方がいいとか、部屋は何個必要だとか、そんなワクワクする話で盛り上がった。

みんな勝手に言いたいことを言っていた。

それが楽しかったし、その時はそれが許されていた。

僕も自分の部屋がどうなるのか気になっていたが、もう一つ気になることがあった。


”どんなお店になるんだろう”

その頃、僕はすでに料理人になることを心に決めていたが、まだ誰にも話していなかった。

空き地を目の前に父の宣言を聞いたときは突然のことで実感が湧かなかったが、こうして新しく建つ家のことをあれこれと話しているうちに、僕の頭の中で空想に輪郭が表れ、次第に色彩も帯び始めた。同時に僕の興味は家そのものよりお店の方に移っていった。


”あっ!今、言わないと”

突然頭の中で僕はそう叫んだ。

一つは父と同じく将来は料理人になりたいということ。そしてもう一つ。それは和食ではなく洋食をやりたいということを。

洋食をやりたかった理由は、父のオムライスが大好きだったこともあったが、「包丁人味平」と言う漫画の影響も大きかったと思う。流石に10歳にもなると赤レンジャーになりたいと言う夢は現実的ではないと理解し、より現実的な憧れの対象を自分の未来と重ね合わせるようになっていた。

それが、その時の僕にとってはキッチンブルドックのコック、味平だった。味平は、その天才的な包丁技で次々と料理対決に挑む、というストーリーだが、父が料理人の僕には味平がより身近な対象だったのだろう。

味平がバケツの中に水をひたひたに入れ、そこに茄子を浮かべて、その茄子を手で触れずに包丁で真っ二つに切るというシーンがある。

僕は風呂場で密かに練習したことを覚えている。

当然、一度も茄子が二つに分かれたことはない。


「僕は大きくなったらコックさんになる。そんで、お父さんのお店を継ぐわ。」

店は和食の店なのに、その父の店を僕が継いだら洋食にすると言うのも無理があると思うかもしれないが、その時の浮舟は内装がオレンジ色を基調とした洋食屋チックなものだったし、ランチにはオムライスもナポリタンもカレーもあったから、僕の中では和食も洋食も、店自体は同じで構わないという感覚だった。

父は熱燗で晩酌をしながらちょっと驚いたように僕を見つめた。そして、少しニヤっと笑い、おちょこのお酒を飲み干して言った。

「やめとけ。この仕事はきつすぎる。ともひろには無理や」

「無理やないわ!」

僕は、絶対にコックになるのだ。誰がなんと言おうと。

そういう勢いで父に食らいついた。少しばかり意地になった。

「じゃあ、ともひろが店継いだら、お父さんは皿洗いでつかってもらうわ。」

と、父は笑いながら言った。なぜ和食じゃなく洋食なのかとは聞かれなかった。

母もニコニコしながら父と息子の会話を眺めていたがふと一言だけ口を挟んだ。

「なりたいんやったらなったらええよ。ともひろの好きなことをやったらいい」


その昔、父の夢は大工になることだった。

母が憧れていたのは服を作る仕事に就くことだった。

だが、その夢は叶わなかった。

二人の結婚すら親が決めたようなものだ。

自分で自分の道を選べない、そんな時代だった。

いや、時代のせいではなく貧乏だったからなのかも知れない。

母の、息子には好きなことをやらせたいという親心から出た言葉だろう。

だからと言って父も母もその運命を恨んだり悲観することはなかった。

全てを受け入れて最善を尽くし生きていた。


祖母は熱い煎茶をすすりながら、弟は大好きなハンバーグを口いっぱいに頬張っている。

その光景は、貧乏だが幸せな家族が一緒に小さな食卓を囲んでいるという、どこにでもあるような日常のワンシーンだった。

ただ、父の決断はそんなに気軽なものではない。

土地を買って、家を建てて、お店も作るのだから、テナントで浮舟をオープンした時のように500万円程度の借金では済まない。その何倍ものお金が必要になることは間違いない。

死にものぐるいで働いて、借金を返しながらコツコツと貯めたお金を頭金にして、さらに大きな借金をすることになる。おそらく何千万円もだ。

やっと借金を返し終わったのにだ。

店はこのままでも軌道に乗り順調だったのにだ。

だが父はリスクを選んだ。

リスクと言っても、家を建てるくらいのことは田舎では普通に誰もがすることだから大したことではないように思える。

でも、毎月給料をもらえるサラリーマンと違って自営業の、しかも明日、客がどれだけ来るかもわからないちっぽけな飲食店の主人が何千万円も借金をするのはやはり大きなリスクである。

それに、「家を建てる」だけではなく「店も作る」のだから。

商売をする、ということはリスクを取るということだが、父にとってそんなリスクよりも家族のために家を持つことは大事だったし、今ここに、息子に継がせる為の店を作るという、リスクを負うに充分な理由も出来た。


今、僕たち家族は人生の大きな岐路に立っている。

希望に満ちた明るい未来がすぐ目の前で僕らを待っているのだと誰もが信じて疑わなかった。

父は悩んだ上の決断だったが、覚悟を決めてしまえばあとは成功を信じるだけだった。

もちろん、十年後にどうなっているかなんて誰にも分からない。

だが、少なくとも一年後には、ここに僕たち家族の希望となる家が建つ。

そして、将来、僕が継ぐであろう料理店が出来る。


はずだった…


つづく



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